正直、統治行為論の判例と見ると、ちょっとわかりづらい事件だが、日米安全保障条約についてのスタンスは明快(こちらはここの趣旨とは離れるが)。統治行為論については、苫米地事件と対比するとよい。 事案 昭和32年7月、東京都砂・・・ 共有林の分割について制限を課している森林法の規定が、憲法29条に違反しないかが焦点となった事例です。 裁判所が、刑事事件の審理のために、テレビ局に対して事件当日の現場を撮影したテレビフィルムの提出を命じたことが、憲法21条に違反しないかが焦点となった事例です。 事件の概要 実際、専門家からこういう意見がありますし。, この統治行為論だけに限りませんが、問題意識は持っておくといいと思います。 Copyright (C) 2020 日本国憲法の基礎知識 -憲法の試験対策などにも- All Rights Reserved. 1961年、文部省が全国の中学2・3年生を対象として一斉学力テストを実施した。 事件の概要 海外に在住する日本人が国政選挙の際に小選挙区で投票できないという公職選挙法の規定が憲法に違反しないか、そしてその状態を長年にわたって放置していたことが国家賠償法上の違法とならないか... 9条2項が禁止する戦力とは「日本が指揮権・管理権を有する戦力」であり、駐留米軍はこれにあたらない, 日米安保条約のような高度な政治性を持つ条約は、一見して明白に違憲無効でない限り、裁判所は違憲判断をしない, もし「おひねりをあげてもいいな」と思われましたら、Amazonにてお送り頂けたら嬉しいです。. 日本に住む外国人は、政治活動の制限を受けるべき?マクリーン事件の判決から | ゆかしき世界, 行政書士試験の独学に役立つ無料サイト │ 行政書士になる!独学合格ブログ|独学おすすめ勉強法. ア 衆議院解散の効力;苫米地事件 ※最高裁昭和35年6月8日 イ 日米安保条約の合憲性判断;砂川事件 例外付きの変則的統治行為論とされている ※最高裁昭和34年12月16日. 事件の... 今回のテーマは「旭川学力テスト事件」です。 今回のテーマは「砂川事件」です。日米安保条約に基づき日本に駐留している米軍が、憲法9条に違反しないか争点となった事例です。事件の概要東京都北多摩郡砂川町の米軍飛行場において、基地の拡張に反対するデモ隊の一部が柵を超えて米軍基地の敷地に入った だから、行政の裁量県の範囲内だとしているのですね。, でも、合憲違憲の判断は避けた。 理由は前述のとおりです。 ※(統治行為論) 市立中学の... 憲法の判例において、重要な部分だけを書き残しておくシリーズです。 ア 地方議会の議員懲罰 (そんなのあったか?と言われそうですが、今作りましたw) すでに登場していますが、それが 「砂川事件」と「苫米地事件」 です。 いずれも昭和30年代の古い判例ですが、若干苫米地事件の方が後に出されたものなのですね。 判例の詳細は他のページに譲りますが、この2つの判例の違いには注意が必要です。 違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない, 一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のもの, 日本に住む外国人は、政治活動の制限を受けるべき?マクリーン事件の判決から | ゆかしき世界, 行政書士試験の独学に役立つ無料サイト │ 行政書士になる!独学合格ブログ|独学おすすめ勉強法. 安全保障の問題は、よほどのことがない限りは、憲法判断に巻き込むべきではないということなのでしょう。, 社会人受験生が多い行政書士試験に短期合格するため、質が良くて安い講座をランキング形式で紹介しています。忙しいあなたも働きながら行政書士資格が取れます!, 行政書士の通信講座を徹底比較!【おすすめの通信教育をランキング】-短期合格目指すなら, 司法書士の通信講座を開講しているおすすめ予備校を、講義(講師)・テキスト・カリキュラム(教材)・フォロー体制・費用(価格・割引制度)・実績の6項目を徹底比較してみました。, 予備試験講座を開講している予備校のうち、おすすめの予備校講座を各項目(講義・講師・テキスト・カリキュラム・フォロー制度・価格・実績)で評価し相対的にランキングを付けてみました。, 民法が苦手だよという独学受験生の方、試験に出題必須の重要論点を中心にわかりやすく解説しています。. 山林を、2分の1ずつの持ち分で共有していた兄弟がいたが、信頼関係が... 今回のテーマは「博多駅テレビフィルム提出命令事件」です。 旭... 今回のテーマは「江沢民講演会事件」です。 事件の概要 山林を、2分の1ずつの持ち分で共有していた兄弟がいたが、信頼関係が... 【行政事件訴訟法】市街化区域と市街化調整区域で「訴えの利益」の判断が変わるのはなぜ?, もし「おひねりをあげてもいいな」と思われましたら、Amazonにてお送り頂けたら嬉しいです。. 講演会に参加した生徒の名簿を大学が警察に提出したことがプライバシーの侵害に当たるかが争われた事例です。 リラックス法学部 >憲法判例>わかりやすい憲法判例 苫米地事件の概要と判決の趣旨について 憲法判例 苫米地事件 (最判昭和35年6月8日) 事件番号 昭和30(オ)96 衆議院の解散により、・・・ しかしデモ隊は「憲法9条は自衛のための戦力の保持も許さない」「米軍が日本に留まることは憲法9条に違反する」として無罪を主張した。, ●9条2項が禁止する戦力とは「日本が指揮権・管理権を有する戦力」であり、駐留米軍はこれにあたらない, ●日米安保条約のような高度な政治性を持つ条約は、一見して明白に違憲無効でない限り、裁判所は違憲判断をしない, 沖縄の普天間基地移転問題や、日本の自衛権についてニュースになることが多い昨今、改めて押さえておきたい判例です。, 特に「高度な政治性を持つ条約は、一見して明白に違憲無効でない限り裁判所は判断しない」という知識は重要ですので必ずチェックしておきましょう。, このように「高度な政治性を有する統治行為」は司法が判断しないことを、統治行為論といいます。, この考え方は「衆議院の抜き打ち解散は憲法に違反するか」が争われた「苫米地事件」においても使用されましたので、併せてチェックしておいてください。. 今回のテーマは「砂川事件」です。日米安保条約に基づき日本に駐留している米軍が、憲法9条に違反しないか争点となった事例です。事件の概要東京都北多摩郡砂川町の米軍飛行場において、基地の拡張に反対するデモ隊の一部が柵を超えて米軍基地の敷地に入った いずれも昭和30年代の古い判例ですが、若干苫米地事件の方が後に出されたものなのですね。, 後に出された「苫米地事件」では、先ほどの内在的制約説を論拠に、がっつりと統治行為論を打ち出していますが、前の「砂川事件」では、統治行為論と自由裁量行為を足して二で割ったような判断をしています。, 社会人受験生が多い行政書士試験に短期合格するため、質が良くて安い講座をランキング形式で紹介しています。忙しいあなたも働きながら行政書士資格が取れます!, 行政書士の通信講座を徹底比較!【おすすめの通信教育をランキング】-短期合格目指すなら, 司法書士の通信講座を開講しているおすすめ予備校を、講義(講師)・テキスト・カリキュラム(教材)・フォロー体制・費用(価格・割引制度)・実績の6項目を徹底比較してみました。, 予備試験講座を開講している予備校のうち、おすすめの予備校講座を各項目(講義・講師・テキスト・カリキュラム・フォロー制度・価格・実績)で評価し相対的にランキングを付けてみました。, 民法が苦手だよという独学受験生の方、試験に出題必須の重要論点を中心にわかりやすく解説しています。, 国家(権力者)の行為について「違憲ではないか?」と裁判所に提訴された場合において、裁判所がその判断を避けるための理由として「統治行為論(※詳細は文末に記載)」という理論で説明される事がある。「統治行為論」とは、簡単に言えば「その国家(権力者)の行為は高度の政治性を有するから司法判断に馴染まないので、原則として司法判断はしない」というものである。, 「統治行為論」は、私のような法律家ではない一般人が述べるまでもなく、法律家による学説で「肯定説」「折衷説」「否定説」等に分かれ、判例および有力説は「肯定説」だそうだが、私はそのような学説を理解してから述べるのではなく、一般人として「統治行為論」を素直に解釈した時に非常に違和感を感じたため、その「感じたまま」を述べるものである。述べてみると、結果論ではあるが以下に述べる私の考えは、学説で言う「否定説」に近いものと考える。, そもそも立憲主義である日本において、権力者の権限濫用を防いでいるのが憲法である。そして、その憲法に基づいて「違憲審査権」を有しているのは「裁判所(終局的には最高裁判所)」だけである。, とすると、権力者の行う行為は、当然ながら政治的行為がほとんどであり、その行為について濫用しているかどうか(違憲かどうか)判断をする事が可能なのが唯一「裁判所」だけであるにもかかわらず、それを「統治行為論」という「その行為が国家の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度な政治性を有するかどうか」という抽象的な基準だけで、その判断を避けてしまう事は、司法の使命を放棄した事になるのではないか? と私は考える。, 「違憲審査権」とは、文字通り裁判所の持つ「権利」ではあるが、他の機関にはその権利は無く「裁判所のみが有する」事が憲法に規定されている事から、「違憲審査をする責任が裁判所にはある」と考えるべきであり、その判断を下す事は「義務」とも言えるからである。その意味では、その責任を「統治行為論」を理由に放棄してしまう事は、「憲法に規定している裁判所の責任・義務の放棄」とも言え、この事自体が「違憲である」とさえ言えると私は考える。, この「統治行為論」の論旨の根本は、「国家の存立〜高度な政治性を有する国家(権力者)の行為」は、恐らく「国民主権の観点」から、選挙で選ばれていない裁判官(司法)が判断すべきではなく、「選挙で選ばれた議員(国会)や国民自身(国民投票)で決めろ」という司法の考えた理屈なのだろう、と推測する。, しかし、「違憲審査権」を有するのが裁判所だけなのにもかかわらず、「統治行為論」によって「国民主権だから国民自身で決めろ」と裁判所が憲法判断を避けてしまった場合には、それを「違憲無効」とする事が出来る国家機関が皆無となってしまう。, すると、もし国民が決めるとしても、違憲審査権は裁判所しか有していない以上、国民としては、次期総選挙でその違憲だとする行為(法律の制定等)の廃案を掲げる別の政権に交代させて、それを実現させるしかない事になる。しかし、それでは時間がかかり過ぎるし、かつ政権交代というものは他の政策の比較・検討等も必要であるから、果たしてその「違憲とされる行為の存在」だけで、政権交代を実現させるべきかの判断が大変難しくなる。また、国会の発議により国民投票で「憲法改正」して、その違憲とされる行為を合憲とする事も不可能ではないが、これを実現するには、尚更手続上の時間と困難が存在する。とすると、現実には「統治行為論」とは、権力者の政治的行為を判断する限りにおいては、裁判所の持つ「違憲審査権」を「骨抜き」にしてしまう理論に他ならない事になる。, また、この「国家の存立〜高度な政治性を有する国家(権力者)の行為は、国民主権だから司法ではなく民主主義(多数決)で決めろ」という考え方は、「三権分立の原則」に逆行しているように感じる。, つまり「国民(国会議員)の多数決で決めた事(法律等)」でも、その提訴を受けて「司法が独立してこれを違憲無効とする事が出来る」という考え方が、「三権分立の原則の1つ」ではないかと私は考えるし、かつ「国家の存立〜高度な政治性を有する行為」とは、すなわち「国家の存立に取りとても重要な行為」と考えられる事案だからこそ、「司法が独立して違憲かどうかの判断をすべき」であると私は考えるのであるが、その判断をあえて「主権者たる国民の意思(多数決という民主性)での決定に委ねるという考えに戻してしまう」とする「統治行為論の考え方」が、私には「三権分立の原則」と逆行しているように感じ、理解しかねるのである。, しかし、憲法が「違憲審査権」を「選挙で選ばれていない裁判官で構成される裁判所にしか与えていない」以上、憲法は「裁判所に民主性を求めていない」のが明らかなのだから、この考えは誤りであると考える。, これらの事から、そもそもいくら「国家の存立〜高度な政治性を有する行為」であっても、憲法により司法のみがその判断を委ねられている「違憲審査権」をあたかも放棄するかのような理論である「統治行為論」は、理論的に無理があると私は考える。, そして、そもそもその国家の行為について「統治行為論によって憲法判断を避けるべきか否か」を決めるのも個別具体的に裁判所が行うしかなく、その基準は非常に抽象的・曖昧であり、「憲法判断を避けるべき高度な政治性を有する国家の行為」とは具体的にどのような基準で決めるのか、また「この行為を決める基準自体を裁判所に決めさせて良いのか?」という問題も出てこよう。, すなわち、「統治行為論」が創出された本当の意味は、裁判の目的となっている行為について、純粋な法理論だけでその「合憲性」の理由をどうしても司法は説明し切れない。それでも何とか「違憲」という結論を避けるために、「国家の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度に政治性を有する行為」等と、いかにも抽象的な文言をたくさん付した「いかめしい行為」とし、かつ「国民主権で」という民主主義として大変都合の良い理屈を新たに持ち出して、司法が違憲判決を避けるために強引に創り出した理論ではないか、と推測する。, とすると、「統治行為論」は法理論上は明らかに誤りである事になる。しかし、実際にはその行為を単純に違憲としてしまう事は国家のために全くならない場合や、その他の政治的背景がある場合等があり、その場合に限り用いられる言わば「法的技術」なのではないか、と推測する。, ここから言える事は、日本国のために必要な行為と判断されれば、結果的に違憲と判断される行為も「統治行為論」により違憲とせずにする事が出来る場合があるという事であるが、さらに言うと「日本の憲法改正の手続が実現に困難と時間を要し、かつ日本の法制が世界情勢や時代の流れに追いついていない場合」等に、結果的に「違憲」とか「立憲主義に反する」政策等も実行しなければならない場合もあると判断した場合には、それを実行する事こそが「国家運営というものである」という事を示し、そのような政策を違憲とさせないために「統治行為論」を裁判所が作り出したのではないかと私は考える。と同時に、もしそれを覆したければ、国民主権の観点から選挙で選ばれていない裁判官で構成される「司法」に委ねるのではなく、選挙により政権交代させる等して次期政権にその法制等を廃案等にするべき、あるいは国民投票により憲法改正してその行為を合憲ないしは違憲とすべきと司法が言っているのだ、と私は推察する。, 結論は、その行為が国家の本当に必要な行為なのに、現憲法では違憲等と言われ無効になりかねない場合に、それ避けるために考え出された法的技術・理屈が「統治行為論」である、という事である。, 以上